前回に引き続き、Facebookの『TARTARIA』グループの管理者のGorgi Shepentulevskiさんが投稿していた内容の続きになります。
なお、原文を自動翻訳して少し修正を加えていますが、原文を確認される場合は下記リンクをご確認ください。
第6部
ディオニス(ディオニュソス)とルーン文字
発行:2021年4月11日
ホメロスによれば、ディオニスはニサ(古い地形図ではマケドニアのオフリド近郊)で生まれ、マケドニア神話(ギリシャ神話)ではオリンポス12神の一人であった。
ロゼッタストーンにもディオニスは登場する。ディオニスという名前自体、「二度生まれた」という意味である。
ディオニスはオーディンと同じように、自ら進んで死に、同じ意識で生き返った。
つまり、死後の世界で起こったことをすべてモルフィックフィールド(※特有の情報が保存されている場)の領域で記憶し、そこで魔法のルーン文字を見、解読し、コピーし、生き返ったときにその知識を自分の液晶構造のクロモゾームに記憶させたのである。
その後の展開が驚くほど面白くなる。
ディオニスにはヘルメスという名の兄弟がおり、彼はルーン文字という神聖な知識をヘルメス文字と錬金術文字の形で暗号化し転写し、それはオフリドにある秘密の場所に保管されていた。
1802年のタルタリア陥落後、バチカンの命令で、フィレンツェ公とその養子サンを通じて、ハンコックとブーヴァルによれば、オフリドで何度も捜索任務を行ったメディチ家の命令でこれらの書物が発見され、フィレンツェへ、そこからバチカン市国に持ち去られたのである。
何冊かが発見され、バチカンに運ばれたかは不明だが、ヘルメスが書いた100万冊以上の本のうち、価値のない数百冊だけが発見され、残りは秘密の場所に隠されていると言われている。
知恵と運命をコントロールする力を手に入れたディオニスは、空気も火も水も通さない不滅の発光物質で本を作り、その本にルーン文字を書き込んだのです。
この本は今日、「The Book of Dzyan – ЏАН」と呼ばれ、英語では「The Book of Nothing」と訳される。というのも、「Dzyan – ЏАН」はルーン文字で書かれた「線と筆」の記号で、普通の人には何の意味もない、未定義の装飾画のように見えるからである。
ディオニスは未来をはっきりと見ることができたので、オフリドが『ディザイアの書』を保管する安全な場所ではないことを知っていた – ЏАН、彼はその書を持って、キタンとアトランティスの親戚が住んでいるチベットに旅立った。
その頃、地球にはまだ中国人や他の黄色人種はいなかった。大洪水によってキタン大陸(ラムリア大陸とも呼ばれる)が破壊される前に、エリートたちは地球上で最も高いヒマラヤ山脈に移動し、チベットに要塞化した白い都市を築き、そこにすべての秘密の知識を保管していた。
キタンは地球上で最初のタルタリア・マセドニア王国であり、海洋の水位が現在より数百メートル低かったため、キタン大陸はオーストラリアやニュージーランド、アジアとつながっていた。
ロシア人が中国をКитай – 契丹と呼ぶのは、契丹の領土に中華民族が誕生し、定住したのがわずか400年程前だからである。
黄色人種が誕生する前に、障壁としてタルタリア大城壁(通称:チャイニーズウォール)が建設された。
キタン-ラムール人は、身長34mの巨人で、明るい顔をしていた。
ディオニスはディジャン – ЏАНの本を親戚に渡して保管してもらい、オフリドに戻りました。
ディオニスは、アレキサンダー大王の近親者である。
アレキサンダーは、マケドニアの白い町ヘラクレア・リンセスティス(現在のビトラ)に生まれ、家庭教師のアリストテレスの勧めでディオニスの著作をすべて読み、何度も何度も読み返すうちにディオニスの著作に魅了されて、彼を非常に尊敬するようになった。
そのため、アレクサンダーはディオニスの足跡をたどってチベットに行き、そこでキタン人やアトランティス人の親族に温かく迎えられ、ディオニスの書「ЏАН」をアレクサンダーに渡して読ませることにしたのだ。
伝説によると、この本を読んだアレキサンダーは、精神的に啓発され、変容し、その時から、彼は永遠を求める別人となり、後にそれを手に入れたと言われている。
マケドニアの民間伝承や目撃談の最も重要な収集家であり作家であるマルコ・チェペンコフによると、アレキサンダーは生誕から500年後の19世紀、オスマントルコの猛攻から生まれ故郷のビトラを守る姿が目撃されている。
Dzyan – ЏАНの本は、アカシャ記録の主な出典であり、インドで発見されたサンスクリット語のパピルス文字記録でもあるが、その文字は、この地域に住んでいたタルタリア人の生存者によって、今日までわずか5%が解読されたに過ぎない。
当時インドは存在せず、タルタリアが滅んだ後にその地域がヒンドゥスターンと名付けられ、つい最近1947年8月15日にインドという国が成立したのである。
サンスクリット語の二大叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』は、北インドで使われていた叙事詩サンスクリットと呼ばれる口語の語りの範囲で書かれたものである。
その語り部たちはタルタリア人の生き残りで、その5%のサンスクリット語の文章を解読する役割を担っていたのである。
神智学会の創設者であるヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーという女性がチベットを訪れ、『ディジャン』(ЏАН)という書物の中の文章の一部を読み、それをもとに『秘密の教典』という本を2巻に分けて書き、1888年の秋に出版したと言われている。
しかし、この物語の本当の主役はバチカンである。
バチカンはブラヴァツキーという人物を作り出し、この名前を使って、バチカンの作家たちは『ディジャン-АН』に含まれる秘密を捏造し、人類の歴史に数百万年を加え、さらに多くのゴミを、魅力的な物語によってコーティングしているのである。
下の写真のディオニスは、自分のために自分を犠牲にしている。
本文中に、『1947年8月15日にインドという国が成立したのである。』とありますが、東インド会社など、もっと古くから『インド』という名称は使われていたのではないかと思いますが、公式の歴史や下記の地図が嘘の可能性もあるのでしょうか。
以上、一般的な歴史認識と異なる内容となりますので、ご注意下さい。
記載されてる内容について、全て検証出来ている訳ではありませんが、ご容赦頂ければと思います。
後編はこちら。
前編はこちら。
このシリーズのリンクを以下にまとめました。
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